明けましておめでとうございます。
今年も年明けから思い切り笑いまくって、健康運と金銭運と恋愛運とその他諸々の幸運をがっぽり呼び込みましょう! 本年もなにとぞよろしくお願いいたします。
今年、なか仙寄席は五周年を迎えます(パチパチパチ!)。これまで無事に続けることができたのも、ひとえに皆さまのお陰と厚く御礼申し上げます。本日は五周年を記念して、オリジナルグッズのプレゼントやお楽しみ抽選会を予定しておりますので、どうぞお楽しみに!
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私がなか仙寄席に通い始めたのは第二回からで、店がまだ地下にあった頃です。枝光さんの十八番「ちりとてちん」を初めて聞き、上方落語の迫力と強烈なギャグに笑い転げました。それが私の落語地獄いやいや落語人生の始まりです。
あれから本当にたくさんの落語をなか仙で聞きました。「犬の眼」や「動物園」「相撲場風景」といった軽妙な作品から「天神山」「寝床」「井戸の茶碗」などの大根多、上方ならではの「立ち切れ線香」「骨つり」「高津の富」も大好きになりました。63人もの客を集めた「地獄八景亡者の戯れ」や、街宣車の大音響にも負けず枝光さんと客が一体となってやり遂げた伝説の高座も生まれました。
そして、一人の噺家が同じ根多を何度も高座にかけて熟成させていく過程を間近に見られたことも、私の落語観を大きく変えました。荒削りながらも勢いのある根多おろしは、回を重ねるごとに要所要所がピタリとはまりだし、人物や情景に奥行きが出て、聞けば聞くほど物語の世界が広がります。
たくさんの根多を聞けること、ひとつの根多を何度も聞けること、それを同時に味わえるのがなか仙寄席の魅力なんですね。枝光さんが今後どんな根多に挑戦するのか、それをどう発展させていくのかを追いかけて、今年もせっせと通うことになりそうです。
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さて、本日の演目は「らくだ」と「蛸芝居」。どちらも派手で賑やかで大がかりな根多です。
「蛸芝居」は、旦那から丁稚小僧まで全員が芝居好きという商家で起きる大騒動。セリフも仕草もあきれるほど芝居がかっていて、「どこまで好きなんや!」と突っ込みたくなるほどのアホらしさ。最後には本当に歌舞伎を見ているかのようなスペクタクルが展開します。
「らくだ」は、ちょうど一年前、1月29日のなか仙寄席が初演でした。その後さまざまな高座で練り上げられ、満を持しての凱旋口演となります。らくだの兄貴分や紙屑屋には災いを笑いに変えるたくましさを感じるので、スタートダッシュをかけるにふさわしい演目かもしれません。パワフルな二人にあやかり、豪快に笑って新しい一年を始めましょう!
(舟見恭子/落語ライター兼「なか仙寄席」お手伝い)
早いもので、今年も残すところあと36日。世の中がひっくり返るような出来事ばかり続く一年でしたが、本年最後のなか仙寄席でパーッと笑って締めくくりましょう。
本日の演目は「猫の忠信」と「看板の一(ピン)」。どちらも数年ぶりの登場です。「猫忠」は、一人の男が別々の場所に同時に存在するという謎めいた物語。忠信の名前は歌舞伎「義経千本桜」のエピソードから拝借したもので、元ネタを知っている人はカラクリが見抜けるかも。
「看板の一」はサイコロ博打にまつわる洒落の効いた秀作。軽いノリの中にも深い教訓が盛り込まれ、ギャンブル好きの方には少々耳の痛い噺です。百戦錬磨の親方の見事なツボさばきにご注目!
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先日、とある落語会の打ち上げでとある噺家さんがこんなことを言っていました。「どんなネタにも『ここで決めたい』と思うセリフがある」。それは、サゲやハイライトシーンの決めゼリフとは限りません。ストーリーの中ではさほど重要でない場面だったりしますが、その一言が決まるか決まらないかで高座の出来が左右されるのだそうです。すべてのセリフや伏線がその一点を目指して練り上げられ、絶妙のタイミングでビシッと決める。演者の「ここぞ!」という気持ちと、観客の「来るぞ!」という感覚が見事にハマった瞬間は、客席全体が弾けたような笑いに包まれます。
そんな時、私はしみじみ「この場に立ち会えて良かったなぁ」と思うのです。
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AKB48のプロデューサー・秋元康氏は、著書の中で「AKB48とは、彼女たちの成長する姿をファンが『目撃』することに意義がある」と語っています。現代はCDやDVD、インターネットの動画サイトなどで、何でも手軽に再現することができますが、テレビやパソコンの画面を通して見るのは記録の再現に過ぎません。AKBファンにとってのステイタスとは、「オレはたしかにあの現場にいた!」と目撃証言できることなのでしょう。今日のお客様の中にも、キャンディーズやピンクレディーのコンサートに行ったとか、王や長嶋のホームランをスタンドで見たことがあるという人もいるのでは?
落語ではよく、噺家の存命中に生の高座を観たことのある人が「間に合った」という表現を使います。圓生や志ん朝、枝雀といった昭和の名人に間に合った人たちは、他の落語ファンから羨望のまなざしを向けられます。残念ながら私は談志師匠に間に合いませんでした。(合掌)
「いま起きていること」をこの目で見ているという感触は、その瞬間に居合わせた者しか得られない特権です。『目撃』とは、1回きりしかできないから価値があるんですね。
さあ皆さん、今日も枝光さんの高座を一緒に目撃しましょう!
(舟見恭子/落語ライター兼「なか仙寄席」お手伝い)
枝光師匠が五代目桂文枝(当時は小文枝)に弟子入りしたのは、昭和53(1978)年、大阪の高校を卒業したばかりの19歳の頃でした。文枝は三代目桂米朝、六代目笑福亭松鶴、三代目桂春團治とともに「上方四天王」と呼ばれた大名人。はんなりとした上品な芸風が特長で、色気のある女性を演じさせたら右に出る者はないと言われていました。
噺家を目指す若者は、まず自分が師事する師匠を決め、弟子入りを直談判します。スポーツ選手のように代理人が間に入ってくれるわけではありません。一度目はあっさり断られたという枝光さん。それでもめげずに再アタックし、周囲の尽力もあって入門が許されたそうです。師匠の機嫌ひとつで人生が決まってしまうこの世界。師匠と弟子の絆は「運」と「縁」の両方があって初めて結ばれるのですね。
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ところで、ご存知の方も多いと思いますが、枝光さんの兄弟子で文枝一門の総領弟子である桂三枝さんが、来年7月に六代目となる「桂文枝」を襲名することになりました。「三枝の名をここまで大きくしたのにもったいない」とか、「創作落語中心の三枝がどんな文枝になるのか」など外野はいろいろ言いますが、ご本人の思惑はともかく、「桂」の源流でもある文枝という名跡が一門の手で守られることはとても重要だと思います。戦後消滅しかけた上方落語をかろうじてつなぎとめた四天王と、その意志を受け継ぎ落語の灯を守り続けた弟子たちがいるからこそ、私たちは今こうして落語を楽しんでいられるのです。
私も、せっかく北海道に芽吹いた落語の若木を枯らさないよう、自分にできることをやらなくちゃと思い始めました。どんな形であれ、残すことが大事。残さなくていいのはつまらないギャグと有害な廃棄物だけです。
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さて、本日の演目は「住吉駕籠」と「植木屋娘」。「住吉駕籠」は大阪・住吉大社の前で客を待つ駕籠屋が主人公。トンチンカンな相棒やムチャクチャな客に振り回されるベテラン駕籠屋の苦悩と試練の物語です。ひつこいセリフ回しがジワジワと笑いのツボを刺激する上方らしい噺。「植木屋娘」は、年頃の娘を持つ父親がお婿さん獲得のために大奮闘します。サゲにはいろいろなパターンがあるのですが、枝光さんらしい明るくめでたいハッピーエンド。モラルがどうのと目くじら立てず、あっけかんと笑っちゃいましょう。それでは、本日もゆっくりとお楽しみください。
(舟見恭子/落語ライター兼「なか仙寄席」お手伝い)
近頃は何でもかんでも「想定外」で済まされますが、想定内の事態が想定通りに起こるケースもあるもので、「そろそろヤバそうだな」と思っていた落語仕事がほんとにヤバくなりました。このままじゃ落語について書く場がなくなってしまうなぁと思っていたら、目の前になか仙寄席のチラシがヒラヒラと舞い降りてきて……というわけで、誠に勝手ながら急遽「なか仙寄席通信」を担当させていただきまーす。
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落語にはよく実在の地名や名所旧跡が登場します。夏の定番ネタ「舟弁慶」で喜ぃ公や清ぇやんが船遊びをする大川は、大阪中心部を流れて大阪湾へ至る旧淀川の一部。今も変わらず大阪府民の夕涼みスポットとして親しまれています。夏の盛りには、屋形船の上で酔客が紅白のフンドシ踊りをするとかしないとか。
枝光師匠の十八番、「井戸の茶碗」に出てくる浪人・千代田卜斎親子が住むのは「清正公様脇の裏長屋」。清正公とは戦国の武将・加藤清正のことで、東京の港区白金台に清正公を祀った覚林寺というお寺があり、千代田氏の長屋はおそらくその近くと思われます。貧乏長屋のお嬢さんも、世が世ならシロガネーゼだったわけです。
また、屑屋さんが声をかけられる「細川様のお窓下」は、同じく白金にある肥後熊本城主五十四万石、細川越中守の下屋敷。細川家は後陽成天皇を先祖に持ち、細川忠興・ガラシャ夫妻など歴史的人物を輩出する名門中の名門。現当主は元首相の細川護煕氏です。古美術品の収集でも有名で、細川コレクションには「井戸の茶碗」がちゃんとあるというウソみたいなホントの話。
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さて、本日の演目は「天狗裁き」と「親子茶屋」。「天狗裁き」は、気持ちよく昼寝をしていたはずのご亭主がとんでもない事態に巻き込まれていくサスペンス巨編(?)。一体どこまでオオゴトになっていくのか! 想像力をめいっぱい働かせて主人公に感情移入してください。
「親子茶屋」は、お茶屋遊びに明け暮れる若旦那と、そんな息子に怒り心頭な大旦那が繰り広げる親子バトル。後半に出てくる「狐つり」という目隠し遊びは、お金持ちの芸者遊びが疑似体験できます。ちなみにお茶屋のある宗右衛門町は大阪・道頓堀川の北側にある歓楽街で、現在は「ミナミ」と呼ばれています。昔の面影はなくなってしまいましたが、殿方が若いギャルを求めて散財するのは変わってないようですね。
それでは、本日もゆっくりとお楽しみください。
(舟見恭子/落語ライター兼「なか仙寄席」お手伝い)
〝井戸の茶碗〟と聞いてその茶碗をすぐにイメージできる人は、よほど茶道に精通しているか陶器に詳しい人だろう。たいていの人は、「井戸に落ちた茶碗のこと?」などと「?」付きで考えてしまうはずだ。私もそうだった。しかしそれでは〝はてなの茶碗〟である。
井戸の茶碗とは、高麗茶碗の名品の中でも「一井戸二楽三唐津」と言われる、朝鮮南部で焼かれた陶器の傑作のことだ。
榎本滋民の『落語ことば辞典』によれば、肥後の陶工井戸新九郎が焼いたもの、大和の豪族井戸氏の所有していたもの、井戸若狭守が高麗から持ち帰ったもの、井戸の中から掘り出したものなど、名称の由来については諸説あるようだ。
また、その種類も多く、大井戸(名物手井戸・本手井戸)、小井戸(古井戸)、青井戸、井戸脇などがあるほか、大阪の豪商竹田喜左衛門が所有した京都大徳寺孤蓮庵の「喜左衛門井戸」(国宝指定)や、大和の戦国武将筒井順慶から豊臣秀吉に献上されたあと金沢嵯峨家に渡った「筒井筒」などがとくに名高いのだそうだ。
三遊亭宗家、円朝・円生の流れをくむ三遊亭竜楽師匠は、「この茶碗は信長・秀吉・家康の三侯が所有し、関ヶ原の合戦のさいに行方不明となっておりました井戸の茶碗にございます」と演っていた。
さて、本日の桂枝光師匠の噺ではいったいどんな茶碗が飛び出すのか、頑固な老武士や正直者の屑屋がどのように描かれるのか、見どころが満載の『井戸の茶碗』にどうぞご期待ください。
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それから本日のトリネタは『隣の桜』。春になると上方でよく演じられる噺だ。別名『鼻ねじ』。
四、五日前までは札幌も春の陽気だったが、ここ数日はあいにく真冬に逆戻りしたような天候。でも春はもうすぐ、まずは落語で笑いながら花見の予行とまいりましょう。どうぞ最後までごゆっくりとお楽しみください。
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なお、次回のなか仙寄席は4月30日。演目は、『三十石 夢の通い路』の予定。枝光師匠が久々に素晴らしいのど(舟歌)を聞かせてくれる。こちらは夏の船遊びの気分を先取りしたような上方噺。皆様お誘い合わせのうえどうぞおいでください。
(土肥寿郎/「なか仙寄席」世話人)