なか仙寄席

なか仙寄席通信最新号(第29号)

, , , , , ,

ようやく桜が咲いたかと思ったら、またまた肌寒い気候に逆戻り。さすが北海道の春はなかなか手強いですわ〜。

落語には、よく旅人が出てきます。「旅ネタ」というジャンルがあるぐらいで、『こぶ弁慶』や『三十石夢の通い路』などは「東の旅」というシリーズの一部です。旅の主な目的は有名な神社や寺への参詣ですが、落語に出てくる人たちは、日頃の不信心のせいか、行く先々でひと騒ぎ起こすのがお約束。そういえば、先日の東京落語ツアーも初日からハプニングの連発でした。いつの時代も旅は笑いの種になるんですね。

さて、本日はいよいよ上方落語屈指の大根多『地獄八景亡者戯』です。非常に有名な噺ですが、じつはストーリーがきちんと定まっているわけではありません。おおまかな設定はあるものの、登場人物や途中の出来事、ギャグの入れ方などが、演じる「人」と「時」によって変わります。なぜなら、この噺はいま現在の世相やトピックスを盛り込んだリアルタイムストーリーだからです。前回、枝光さんがなか仙寄席でこの噺を演じたのは2008年。当時の総理大臣は麻生太郎氏で、数々の失言がマスコミを賑わせていた頃でした。あれから4年、世の中は大きく様変わりしています。今回の「地獄八景」はどんな世の中を映し出すのでしょうか?

もう一つの演目『ねずみ』は、伊達藩の城下町・仙台を舞台にした人情噺。昨年の東日本大震災以来、枝光さんはさまざまな高座でこの根多をかけ、落語を通して被災地を応援しています。私たちも東北の春に想いを馳せながら、杜の都をご一緒に旅しましょう。

(舟見恭子/落語ライター兼「なか仙寄席」お手伝い)

なか仙寄席通信(第28号)

, , , , , , , , , ,

四月だというのに、雪は降るわ嵐は来るわで、いつまでもグズグズと冬が居座っていますが、私たちは一足先に落語で春を楽しみましょう! いつものように笑って飲んで大騒ぎしていれば、足踏みしていた春も慌てて駆けつけて来るってもんです。

落語には、現代ではあまり見かけない職業の人がいろいろ出てきますが、その一つが「幇間(ほうかん/たいこ)」。花柳界などのお座敷でお客の機嫌を取り、座を盛り上げる芸人のことです。「太鼓持ち」とも呼ばれ、おべんちゃらばかり使う軽薄な奴と思われがちですが、実際はそうではありません。粋な会話を交わしながら、相手の自尊心を程よく刺激していい気持ちにさせるというのはかなりの高等技術です。時にはチクリと嫌みを言ったり、褒め方にも微妙なさじ加減があるようで、人間心理を熟知したコミュニケーションのプロというわけですね。さらに、歌や踊りの素養も必要だし、服装や持ち物もそれなりの品をあつらえなきゃならないので、端で見ているほど気楽な商売ではないようです。

もっとも、落語に出てくる幇間には、そんな切れ者は一人もいません。たいていはお調子者のおっちょこちょいで、ドジを踏んではみんなを笑わせるのがお約束。『鰻の幇間』や『たいこ腹』など、幇間が主役の根多もけっこうありますが、口が災いしてひどい目に遭うお話ばかりです。何かに似てるなーと思ったら、アレですよ、「水戸黄門」に出てくる〈うっかり八兵衛〉。時代劇って、長屋や武家屋敷、芸者遊びなど昔の暮らしを知る手がかりがたくさんあって、落語の世界をイメージする上でとても役立つ教材なんですよね。

さて、本日の演目は『愛宕山』と『莨(たばこ)の火』。どちらも金持ちの御大尽が金に糸目を付けず派手に遊ぶ噺です。『愛宕山』は、春の京都を舞台にした陽気な物語。旦那のお供でピクニックに出かけた一行が花咲く野道を歩く様子や、素焼きの杯を的に向かって投げる「かわらけ投げ」など、情緒豊かな場面が続きます。

『莨の火』は、正体不明の老人が大阪の有名なお茶屋で騒動を巻き起こす噺。ストーリーももちろん面白いのですが、一つひとつの場面を頭の中で映像化しながら聞くとより一層楽しめます。「落語は想像力の芸」と言ったのは、かの桂枝雀師匠。想像力をフル稼働させて、物語の世界に深く入り込むほど感動は大きく、また、見終わった後に飲む酒もグッと美味しくなることでしょう。それでは、今日も打ち上げの一杯を楽しみに、ごゆっくりどうぞ。

(舟見恭子/落語ライター兼「なか仙寄席」お手伝い)

なか仙寄席通信(第27号)

, , , , , , , ,

立春が過ぎ、暦の上では春とはいえ、まだまだ寒い日が続いています。巷では「雪まつり」とやらをやっているそうですが、私は暖かい室内で落語を聞く方が断然楽しいと思います(キッパリ)。
落語好きの間でよく話題になるのが、上方落語と江戸落語の違いです。ざっくり言うと、見台や膝隠しを使いハメモノ(音曲)を入れるのが上方、座布団一枚で語るのが江戸ということになりますが、歴史的・文化的背景を見ると、根多の成り立ちそのものが違うことがわかります。
例えば、金銭感覚。枝光さんによると、『三方一両損』という根多は大阪では成立しないそうです。落とした財布を「自分の物じゃない」と見栄を張る感覚が大阪人には理解できないのです。奉行の裁きも、「三方一両得」ならまだしも全員が損をするなどというのは「ありえへん」のだとか。
また人情噺の『文七元結』では、左官職人の長兵衛が、娘を吉原へ預けて得た五十両を見ず知らずの若者にポーンとあげてしまいます。大阪的には「アホちゃうか」と言いたくなる愚行でしょうが、金銭よりも人情やプライドを優先する「やせ我慢の美学」に、江戸っ子は心をくすぐられたのでしょう。
では大阪人はケチで強欲なのかというと、そうでもありません。上方には『愛宕山』『骨つり』『莨の火』など、金持ちの御大尽が金をばらまいて派手に遊ぶ噺がけっこうあります。稼ぐときは稼ぐ、使うときは景気よく使う大阪商人は、生きたお金の使い方を知っていると言えます。
一方、江戸落語では、『酢豆腐』や『居残り佐平次』のように、飲むにしても遊ぶにしても、超低予算の中であれこれ工夫したり、ちょろまかしたり、挙げ句の果てには踏み倒したり。楽して儲けるタイプの商人もあまり登場しません。お金に対する考え方の違いが、設定やストーリーにも影響しているんですね。

さて、本日の演目は「阿弥陀池」と「百年目」。「阿弥陀池」は、新聞を読まず世情にうとい男に、ご隠居が「昨日こんなことがあった」と最新ニュースを聞かせるのですが、その話が実は……。ダジャレ満載の明るい噺なのでリラックスしてどうぞ。
「百年目」は、大阪・船場の大店(おおだな)の番頭が、人生最大の危機に直面するお話。店の大旦那と番頭がサシで向き合う終盤が見どころです。若い世代の人は番頭の、年配の方は大旦那の気持ちに共感できる部分があるのではないでしょうか。
じつは「大店」という言葉にも、上方と江戸ではニュアンスの違いがあります。江戸では奉公人が十人程度の店でも大店と言いますが、大阪では百人ぐらい抱えていなければ大店とは呼びません。ビジネスの規模も、遊びに使う金額もずっとスケールが大きいわけです。その辺を頭に入れておいて聴くと、より一層イメージがふくらむと思います。それではごゆっくりお楽しみください。

(舟見恭子/落語ライター兼「なか仙寄席」お手伝い)

なか仙寄席通信(第26号)

, , , , , , , , , , , , ,

明けましておめでとうございます。

今年も年明けから思い切り笑いまくって、健康運と金銭運と恋愛運とその他諸々の幸運をがっぽり呼び込みましょう! 本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

今年、なか仙寄席は五周年を迎えます(パチパチパチ!)。これまで無事に続けることができたのも、ひとえに皆さまのお陰と厚く御礼申し上げます。本日は五周年を記念して、オリジナルグッズのプレゼントやお楽しみ抽選会を予定しておりますので、どうぞお楽しみに!

私がなか仙寄席に通い始めたのは第二回からで、店がまだ地下にあった頃です。枝光さんの十八番「ちりとてちん」を初めて聞き、上方落語の迫力と強烈なギャグに笑い転げました。それが私の落語地獄いやいや落語人生の始まりです。

あれから本当にたくさんの落語をなか仙で聞きました。「犬の眼」や「動物園」「相撲場風景」といった軽妙な作品から「天神山」「寝床」「井戸の茶碗」などの大根多、上方ならではの「立ち切れ線香」「骨つり」「高津の富」も大好きになりました。63人もの客を集めた「地獄八景亡者の戯れ」や、街宣車の大音響にも負けず枝光さんと客が一体となってやり遂げた伝説の高座も生まれました。

そして、一人の噺家が同じ根多を何度も高座にかけて熟成させていく過程を間近に見られたことも、私の落語観を大きく変えました。荒削りながらも勢いのある根多おろしは、回を重ねるごとに要所要所がピタリとはまりだし、人物や情景に奥行きが出て、聞けば聞くほど物語の世界が広がります。

たくさんの根多を聞けること、ひとつの根多を何度も聞けること、それを同時に味わえるのがなか仙寄席の魅力なんですね。枝光さんが今後どんな根多に挑戦するのか、それをどう発展させていくのかを追いかけて、今年もせっせと通うことになりそうです。

さて、本日の演目は「らくだ」と「蛸芝居」。どちらも派手で賑やかで大がかりな根多です。

「蛸芝居」は、旦那から丁稚小僧まで全員が芝居好きという商家で起きる大騒動。セリフも仕草もあきれるほど芝居がかっていて、「どこまで好きなんや!」と突っ込みたくなるほどのアホらしさ。最後には本当に歌舞伎を見ているかのようなスペクタクルが展開します。

「らくだ」は、ちょうど一年前、1月29日のなか仙寄席が初演でした。その後さまざまな高座で練り上げられ、満を持しての凱旋口演となります。らくだの兄貴分や紙屑屋には災いを笑いに変えるたくましさを感じるので、スタートダッシュをかけるにふさわしい演目かもしれません。パワフルな二人にあやかり、豪快に笑って新しい一年を始めましょう!

(舟見恭子/落語ライター兼「なか仙寄席」お手伝い)

なか仙寄席通信(第25号)

, , , , , , , , , , ,

早いもので、今年も残すところあと36日。世の中がひっくり返るような出来事ばかり続く一年でしたが、本年最後のなか仙寄席でパーッと笑って締めくくりましょう。
本日の演目は「猫の忠信」と「看板の一(ピン)」。どちらも数年ぶりの登場です。「猫忠」は、一人の男が別々の場所に同時に存在するという謎めいた物語。忠信の名前は歌舞伎「義経千本桜」のエピソードから拝借したもので、元ネタを知っている人はカラクリが見抜けるかも。
「看板の一」はサイコロ博打にまつわる洒落の効いた秀作。軽いノリの中にも深い教訓が盛り込まれ、ギャンブル好きの方には少々耳の痛い噺です。百戦錬磨の親方の見事なツボさばきにご注目!

先日、とある落語会の打ち上げでとある噺家さんがこんなことを言っていました。「どんなネタにも『ここで決めたい』と思うセリフがある」。それは、サゲやハイライトシーンの決めゼリフとは限りません。ストーリーの中ではさほど重要でない場面だったりしますが、その一言が決まるか決まらないかで高座の出来が左右されるのだそうです。すべてのセリフや伏線がその一点を目指して練り上げられ、絶妙のタイミングでビシッと決める。演者の「ここぞ!」という気持ちと、観客の「来るぞ!」という感覚が見事にハマった瞬間は、客席全体が弾けたような笑いに包まれます。
そんな時、私はしみじみ「この場に立ち会えて良かったなぁ」と思うのです。

AKB48のプロデューサー・秋元康氏は、著書の中で「AKB48とは、彼女たちの成長する姿をファンが『目撃』することに意義がある」と語っています。現代はCDやDVD、インターネットの動画サイトなどで、何でも手軽に再現することができますが、テレビやパソコンの画面を通して見るのは記録の再現に過ぎません。AKBファンにとってのステイタスとは、「オレはたしかにあの現場にいた!」と目撃証言できることなのでしょう。今日のお客様の中にも、キャンディーズやピンクレディーのコンサートに行ったとか、王や長嶋のホームランをスタンドで見たことがあるという人もいるのでは?

落語ではよく、噺家の存命中に生の高座を観たことのある人が「間に合った」という表現を使います。圓生や志ん朝、枝雀といった昭和の名人に間に合った人たちは、他の落語ファンから羨望のまなざしを向けられます。残念ながら私は談志師匠に間に合いませんでした。(合掌)

「いま起きていること」をこの目で見ているという感触は、その瞬間に居合わせた者しか得られない特権です。『目撃』とは、1回きりしかできないから価値があるんですね。

さあ皆さん、今日も枝光さんの高座を一緒に目撃しましょう!

(舟見恭子/落語ライター兼「なか仙寄席」お手伝い)